【病院跡】戦時中の野戦病院跡で患者の呻き声が響く深夜の恐怖
戦時中の野戦病院とは?知られざる戦場の医療現場
戦時中、前線で多くの負傷兵を救うために設置されたのが野戦病院(やせんびょういん)です。これは戦地の最前線近くに設けられ、迅速かつ簡易な治療を施すための移動式医療施設でした。日本の大日本帝国陸軍では、1つの師団に3~4個の野戦病院が付属し、最大約200名の患者を収容できる規模が一般的でした。
野戦病院は重症度により第1〜第4まで分かれており、第1は最前線近くで軽傷者を手当てし、第4は後方に位置し、重症かつ長期入院が必要な患者を受け入れました。医療スタッフは軍医や衛生兵が中心で、特に最前線では衛生兵が看護を担当しましたが、看護婦や女性学徒が後方の陸軍病院壕で患者の看護にあたっていた例もあります。
このように野戦病院は、命を救うための最前線の“いのちの砦”でしたが、その実態は極めて過酷かつ悲惨なものでした。 ## 沖縄戦の野戦病院壕: 「第24師団第一野戦病院壕」の実態
沖縄戦で使われた代表的な野戦病院壕の1つが「第24師団第一野戦病院壕」です。これは沖縄・八重瀬岳の中腹に5つの壕を掘り、縦横に連結させた大規模な施設でした。
壕の内側の様子
中は竹で編んだ二段ベッドが設置され、負傷兵の治療と看護が行われていました。病院のスタッフには軍医や衛生兵、そして沖縄戦では特に注目される「白梅学徒隊」という看護教育を受けた女子学徒も配属されていました。彼女たちは負傷兵の世話に追われ、尿・便の処理から包帯交換、さらには死体の埋葬まで行う過酷な任務に就いていました。
沖縄の野戦病院壕は、戦火の中にあっても懸命に命をつなぐ場所であった一方で、夜になると不気味な患者の呻き声が響き渡っていたと伝えられています。 ## 深夜の恐怖: 野戦病院跡に響く患者の呻き声
現代の野戦病院跡地を訪れた人々の間で、深夜になると患者の呻き声や荒い呼吸音が聞こえるという怪談が多く語られています。戦争の激戦地だったことから、多数の傷病兵が苦しみ、そして命を落としていった場所であるため、そうした霊的現象が起こると考えられています。
具体的な恐怖体験の例 夜中に野戦病院壕を訪れた若者が、ベッドに縛られたような音や包帯を巻く手の感触を感じたという話。 壕の近くでうめき声のような不気味な音が聞こえ、振り返ると人影が見えたが、振り向くと消えていた。 昔そこで看護をしていた学徒隊の霊が、苦しむ負傷兵の世話を続けている、とも言われる。
これらは科学的な証拠はないものの、戦争の負の記憶として、地元では語り継がれています。 ## 悲惨な人体実験の現場も存在した野戦病院の裏側
戦地の医療現場はただ「傷兵を救う場所」だけではありませんでした。戦争末期、ビルマのある第4野戦病院では非人道的な人体実験も行われていたとの記録が残されています。
これは日本の軍医が中国で行った恐るべき生体実験を凌ぐほどの酷さで、「敵性スパイ」とされた人々に対して、あらゆる無茶な実験が行われていたのです。
こうした歴史的事実は語りづらいものですが、同時に戦争の闇の深さを知る重要な教訓となっています。 ## 体験談と語り継がれる戦時中の野戦病院
親族の証言
ある沖縄出身の女性は、祖母から「壕の中で助けられた兵士の苦しげな声が夜な夜な耳から離れなかった」と聞いたそうです。祖母は白梅学徒隊として負傷兵の看護に従事し、自身もその状況に強い心的ショックを負っていました。
歴史を知る意味
こうした証言は単なる怪談以上に、戦争の「非日常」を今に伝える貴重な記録です。恐怖体験としてだけでなく、少しでも当時を知るきっかけにすることが、戦争の悲惨さと平和の尊さを後世に伝えることにつながります。 ## まとめ・結論
戦時中の野戦病院跡には、単なる遺跡以上の「命の叫び」が刻まれています。負傷者を懸命に看護した看護婦や学徒たちの悲しみ、幾多の苦しみ、そして時に非道な人体実験の闇。
深夜に響く呻き声の怪談は、そうした過去の痛みを映し出すものです。戦争の現実を知ることで生まれる尊厳と平和への願いは、私たちが今後も忘れてはいけない教訓です。
野戦病院の跡地を訪れる際は、その場所が背負う悲劇を心に刻み、ただの心霊スポットではなく「歴史の証人」として敬意を持って臨みましょう。

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