【吉良神社七人みさき】高知県長宗我部氏の怨霊が起こす祟りの連鎖

2025年10月2日

吉良神社七人みさきとは?長宗我部氏との怨霊伝説の始まり

高知県に伝わる「吉良神社七人みさき」の伝説は、戦国時代の土佐を舞台に、強烈な怨念が形を変えて現代にまで語り継がれている怪異物語です。

江戸時代、長宗我部元親の家臣・吉良親実は、家督争いのトラブルに巻き込まれ、自害を命じられました。彼と共に殉死した7名の家臣が、後に怨霊「七人みさき」となり、高知で多くの祟りを起こしたとされています。

この物語は単なる恐怖譚ではなく、権力闘争の悲劇と怨念が地域社会に与えた影響が色濃く反映されているのです。 ## 長宗我部元親と吉良親実の確執怨霊伝説の背景

長宗我部氏の家督争い

戦国末期の土佐には強力な大名・長宗我部元親が君臨していました。吉良親実は元親の甥であり、義理の息子でもある重要な一門でしたが、元親の嫡男・信親が戦死した後の相続争いで元親に反抗し、自害を命じられたのです。

吉良親実の自害と七人みさきの誕生

親実が屋敷で切腹したとき、7人の家臣も同時に彼の後を追って殉死しました。これが「七人みさき」の元となる家臣団です。

そして、彼らの怨霊が災いを起こすとして恐れられ、特に長宗我部家には数多くの不幸や事故が続きました。 ## 祟りを鎮めるために建立された吉良神社の謎

木塚明神と吉良神社の創建

元親は恐るべき怨霊の祟りに悩まされ、彼らの墓の地に木塚明神を祀り、供養に努めました。これが現在の吉良神社の起源です。

吉良神社の境内には、七人みさきの家臣それぞれを祭神とした七社明神が祀られていて、一般の参拝者も近づきがたい独特の雰囲気を持つ聖域となっています。

怨霊伝説と現代の伝承

この神社には、親実の切腹の場で使用されたとされる「首洗い鉢」も遺されており、今なお地元では大きな事故や不幸が起こると「七人みさき様の祟り」として語られています。 ## 七人みさきが引き起こす祟りの数々

怪異現象の数々

伝説によると、白馬に乗った首のない侍の出現、怪火や鉄棒を振るう大入道など、様々な恐怖現象が頻発しました。

長宗我部元親自体も、これらの怪異に苦しめられ、怨霊を鎮めるため供養を命じたものの、霊はなかなか鎮まらず、多くの人々に恐怖を与えたのです。

不運や事故の連鎖

高知の人々は大きな事故や不可解な病気が起こる際に、その背後に「七人みさきの祟り」を感じ取っています。

一歩間違えば「遭遇すると死ぬ」とも言われ、特に夜道での怪異は近隣住民の間でも語り継がれており、まさに地元の忌み神・祟り神として恐れられているのです。 ## 類似の七人みさき伝説との比較

日本各地には「七人みさき」の伝承が残りますが、吉良神社のものは高知県で特に由緒ある怨霊伝説として知られています。

例えば、ある地域では弔われない亡霊が集まって七人みさきとなり、正面から出会うと死ぬとされるなど、さまざまな類似例がありますが、吉良神社七人みさきの特徴は、 戦国の家督争いから生まれた怨霊であること 祟りが直接長宗我部氏の運命に影響したこと 神社として祀られ、今なお地域の伝承として生きていること

にあります。 ## 具体例・体験談:恐怖を呼ぶ七人みさきの現代的な伝説

ある夜、地元の若者が吉良神社の近くの山道を通った際、突然背後から白馬に乗った首のない侍の姿を見たといいます。その後、その若者は原因不明の高熱に苦しみ、数日間寝込むことになりました。

地元ではこれを「七人みさきの祟り」と畏れています。

また、地域の祭りの際、神社の前で火の玉が飛び交う現象が目撃されることがあり、多くの人々が「怨霊たちの霊気だ」と口々に語るのです。 ## まとめ:高知を支配する怨霊たちの祟り連鎖

吉良神社七人みさきの伝説は、単なる歴史怪談を超え、「怨霊が実際に社会や人々の生活に影響を及ぼした」と信じられる深い意味合いを持っています。

長宗我部元親と吉良親実の家督争いが引き起こした悲劇が、その後の祟りとなって繰り返される不幸の連鎖を生み出し、怨霊を鎮めるために人々が必死で祀った神社の存在は、怨念の恐ろしさと地域の人々の祈りの強さを映し出しています。

この記事を通じて、高知の伝承文化や歴史の奥深さ、さらに怖い話ファンにとっての新たな怪談の魅力を感じていただければ幸いです。歴史と怪異が交錯するこの地で、あなたもぜひ「七人みさき」の痕跡を探してみてはいかがでしょうか。