【白粉婆】奈良県長谷寺画僧達に粥を振る舞った老婆の正体
白粉婆(おしろいばば)とは?奈良・長谷寺に伝わる謎の老婆
奈良県の長谷寺にまつわる「白粉婆(おしろいばば)」は、白粉(おしろい)を顔にむら塗りした老婆の妖怪または霊的存在の伝説です。元々は破れた傘を被り、右手に杖、左手に酒徳利を持つみすぼらしい姿で語られますが、長谷寺の伝承では、その老婆は寺の僧たちの食事を一手に引き受け、献身的に世話をした女性でした。
この老婆は見た目は貧相でも情が深く、慈愛に満ちた人柄で長谷寺の僧侶たちから慕われていました。ある日突然姿を消し、その正体がわからないまま寺では白粉婆を供養し、白粉を塗って祀る「一箱べったり」という奇習に発展したのです。
この物語は、単なる妖怪譚以上に長谷寺の歴史や信仰、地域の心情を映し出す伝説として今も語り継がれています。 ## 長谷寺画僧達に粥を振る舞った老婆の正体と伝説の詳細
天文6年(1537年)に起きた異変と老婆の現れ
室町時代の長谷寺では、寺の本尊である十一面観音菩薩の姿を大きな紙に描き、世の中を平和にしたいと願っていました。そのために全国から画僧が集まっていたのですが、戦乱の影響で寺は食糧不足に陥ってしまいます。
そんな不安の中、白い着物に赤いたすきをかけた青年のような「娘」が米を研ぎ始めるのですが、その米は一粒が桶いっぱいに増えていく不思議な力を持っていました。
実は彼女の顔には白粉が塗られていて、画僧達が見たのは神々しさの裏に隠れた皺だらけの老婆の姿。観音菩薩の化身といわれ、その老婆こそが「白粉婆」だったという伝説です。 ### 老婆が消えた謎と「一箱べったり」という奇習
老婆はある日突然、忽然と姿を消します。誰も老婆の素性を知らなかったため、寺の人々は悲しみに暮れましたが、後に老婆が観音菩薩の霊験の一環であったのではないかという考えが生まれました。
その供養として、白粉婆の像に白粉を塗り、きれいな着物を添えて祀るようになりました。これが現在も続く「一箱べったり」という祭事の起源で、白粉婆への感謝と祈りの形となっています。 ## 白粉婆伝説に見る人々の信仰と心情
献身の象徴としての老婆
白粉婆は見た目の醜さや貧しさとは裏腹に、献身的な精神と無償の愛情の象徴として描かれています。長谷寺の多くの僧侶を支え続け、困難な時代にあっても食事を途切れさせなかったその姿は、現代の私たちにも深い感動を与えます。
妖怪と神の境界にある存在
一方で、妖怪研究家たちはこの老婆を「妖怪」として語り継ぎます。白粉を塗る老婆という奇怪な姿や、米が増える不思議な話から、単なる人間の老婆ではなく神秘的な存在あるいは神格化された守り神とも捉えられているのです。
この点は伝説が時代とともに変化し、信仰や地域の文化と融合していった証とも言えます。 ## 「一箱べったり」という奇習とは?実際の祭事の様子
「一箱べったり」とは、長谷寺周辺で行われる、白粉婆や賓頭盧像(びんずるぞう)に白粉を塗る伝統行事です。この行事は 白粉婆への感謝と供養を込めて行われる
地元の人々が参加し、共同の祈りの場となっている
白粉を塗ることで老婆の霊を慰め、無病息災や豊作を願う意味がある
祭りでは白粉の粉を使って像に塗りつける行為が、観音様の慈悲や白粉婆の献身を象徴的に表現しています。 ## 体験談や白粉婆を訪ねて
私も数年前、秋の長谷寺を訪れた際にこの白粉婆の堂を見て不思議な感動を覚えました。赤い色鮮やかな衣に包まれた老婆の像は、どこか温かな気配を感じさせ、まさに「見た目にとらわれず、真心で支える人の姿」を表現しているように思えました。
地元の方に話を聞くと、「祖母から教わった話」として白粉婆を大切にしている人が多く、白粉婆の伝説は今も人々の心に息づいています。 ## まとめ:白粉婆はただの妖怪ではなく、人々の祈りと信仰の象徴
奈良・長谷寺に伝わる白粉婆の伝説は、ただの妖怪譚ではなく、戦乱や困難な時代にあっても献身し続けた老婆の姿を通して、人々の信仰と感謝の心を映し出しています。
白粉婆が現れたという伝説や、不思議な米が増える話、そして「一箱べったり」という独特の祭事は、古き良き日本の文化と人情を色濃く残しています。
長谷寺の白粉婆は、見る者に「真心で支えることの意味」を改めて気づかせてくれる、時代を超えた美しい妖怪伝説と言えるでしょう。

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